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心霊写真はインチキか? それとも、真実か?

福来友吉博士の心霊写真

ホープを実験した科学者の中でもう一人有名なのが福来友吉である。福来は世界で初めて「念写」を発見した学者として世界的に知られる人物である。しかし彼は、念写を研究した為に、当時大変な迫害を受けた。念写が信じられない偏狭で卑怯な学者達によって東京帝国大学を追われ、研究発表の場を奪われてしまったのである。

  そこで福来は、念写が真実であることを世界の場で発表せんと、ロンドンで行われた第3回国際スピリチュアル大会(1928年)に参加した。ここで福来は「透視と念写」について講演し、多くの賞賛を得た。大会後福来は、講演内容を英訳の単行本にして残そうとロンドンにしばらく留まった。

  その間に福来はクルー市に行き、ホープの快諾を得て2回の心霊写真実験を行った。第1回目は1928年9月19日に行われ、参加者は、福来と友人の山本憲一、それにホープとホープの助手を務めるバックストン夫人の4名であった。実験は午後3時に開始された。 まず福来とホープと山本が暗室に一緒に入り、福来が、ロンドン市で買い求めた手札型乾板6枚の封を切って2枚を取り出し、それに「福来」と漢字で署名した。そしてそれを写真撮影用のケースに入れ、残りの4枚は包装紙に包んでポケットにしまった。

  それから3人は写真撮影の部屋に移り、ホープが写真機を一定の位置に据えてから、福来に写真機を検査するよう求めた。福来はレンズを取り外して写真機の内部を調べ、異常のないことを確認した。その後で福来自身が写真機に乾板を取り付け、自らを撮ってもらう為に椅子に腰掛けた。ホープは左手をバックストン夫人に触れ、右手でレンズの蓋を取り、精神統一に入った。およそ5、6秒経った後、ホープはレンズに蓋をつけて撮り終ったことを告げた。

  ホープが使った写真機は、蓋を手で取ることによって光を入れて露光(ろこう)させ、また蓋をするという古い方式のものであった。従って、ホープのような撮り方が当時としては普通の撮り方だったのである。次いで福来は、写真撮影用のケースに入れたもう一枚の乾板に、先と同様の手順で写真を撮ってもらった。更に福来は山本、ホープと共に暗室に入り、ポケットにしまっておいた4枚の乾板から2枚を抜き取り、これに署名して写真撮影用ケースに入れ、もう一度前と同じように2枚の写真を撮った。

  早速福来は、山本とホープと一緒に暗室に入り、撮影した4枚のうち初めの2枚を現像してみた。しかしそこには福来の姿が写っていただけで、他に何ものも現れていなかった。ところが、後の2枚を現像してみると、2枚のいずれにも同一の西洋婦人の顔が福来の頭の上に現れていた。一枚は左向きに、他の一枚は上向きに顔が写っており、更によく見ると、上向きに顔が写っている写真には、左の肩の辺りに若い女の顔が正面に向かって写っていたのである。

  第2回の実験は10日後の9月29日に行われた。実験の方法は前回とすべて同じで、2枚の写真を撮った。その結果、一枚には何も現れなかったが、もう一枚には、福来の頭上に横向きの男の顔が出現していた。そしてその上の方に「 Je connais ce, monsieur 」(ジュ・コネ・ス・ムッシュー)というフランス語の文章が出ていた。これは、「私は、それを知っている。君よ」という意味である。以上の2回の実験は、福来の厳しい目にも十分堪え得るものであった。「福来」と実験前に署名した文字は実験後も乾板にそのまま残っていたから、別の乾板にすり替えられたという疑いはない。ホープも実験中に不審な素振りを一切見せなかった。

  とはいえ、心霊現象が信じられない輩は、世によくあるインチキ心霊写真と一緒にして、何らかのトリックではないのかと疑うに違いない。もしそうであるならば、福来の実験の場合、疑わなければならないのは福来自身であろう。なぜならば、実験を計画したのも、乾板を用意したのも、その乾板に署名し管理したのも、写真機を調べたのも、現像したのも、すべて福来であるからだ。つまりこういった状況下で他の者がトリックを仕掛けるのは、誰が考えても不可能なのである。となれば、やはり福来を疑わなければならない。

 

引用元
「死後の存在」
著者: 中根繁
発行所: 真流一の会
p88〜p101


※ 真流一の会の許可を得て掲載させていただいている文章です。





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