心霊写真の真相C
世界中で目撃されている幽霊
『倶舎論』における幽霊の説明
以上が『倶舎論』における幽霊の説明である。かかる幽霊は、見る縁のない大多数の人達にとっては信じ難いものであろう。しかし、仏教のある程度の修行を積んだ者は、幽霊の姿や境界を鏡に映すようにはっきり見て取れるのである。平安中期の天台宗の僧で播磨書写山に円教寺を開創した性空上人は、六根清浄位のさとりを開いた人である。天台宗では、さとりの52位中、10信位(下から数えて10段目のさとりをいう)を六根清浄位というのである。
その性空上人がある日、京都の公卿夫人達から説法の招待を受け、高壇に登った。ところが上人は高壇から一言も発せず、大粒の涙を流して、たまりかねたように降壇した。性空上人は後にその時の心境を、「美しく着飾った夫人達の中に中有の衆生が交じっており、彼らの姿を目にしていたら、哀れで泣くより他はなかったのじゃ」と語っている。
『雑阿含経』第19巻にある話だが、ある日のこと、目連尊者が托鉢から帰り、釈尊に、「つい先ほど、苦しみのあまり泣きながら空を飛んでゆく大きな精霊の姿を目にしました」と報告した。それを聞かれた釈尊は、いつもの通りの厳かな口調で、
「我が弟子の中で神通を得たる者は、そのような衆生を見ることができるのである。我もまたかの衆生を見るが、説くことを控えていた。
人が信じようとしないのを恐れるからである。
なぜ恐れるのか。
もし仏の所説を信ぜず疑うことになれば、その人は地獄に堕ちて長夜の苦しみを受けることになるからである」と仰しゃった。
目連尊者が見た精霊とは無論、中有の衆生である。こういった中有の衆生を見る人は何も修行を積んだ人達だけとは限らない。普通一般の人でも見るべき業縁があれば幽霊を見ることがあるのである。
引用元
「死後の存在」
著者: 中根繁
発行所: 真流一の会
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